テープ起こしストのお盆休み

 私には弟がいる。弟がいるというのはよいもんだ。それはなぜかというと、弟は当然、昨今に急にできたわけではない。私が物心ついたときには既に存在していた。そのころの弟はまだ赤子の、全くか弱き無力な存在だった。そういう存在を持ちながら成長していく兄には、何というか、憐憫(れんびん)の情とでもいうような情操がはぐくまれると思う。それがよいものだと思うのだ。そして我が弟は末っ子なので、当然、彼には弟がいない。だからそんな弟のことを私は、フフン、少しかわいそうだと思う。

 その弟がお盆に帰ってきた。帰ってきた、なんて乱暴に言ってもあれだ。弟は蝦夷地の、とある競走馬生産牧場で働いていて、毎日馬にえさをやったり、し尿の始末をしたり、後肢でけられて悶絶したりと多忙な日々を過ごしている。そこの休暇で帰郷してくるのだ。期間は6日間だという。事前にそう聞いて、弟と違ってテープ起こしストという手伝い稼業の、仕事があったりなかったりの半分無職のような私は、弟の久しぶりの帰郷なのだからいっちょう何か、例えば弟も旧知のこのかいわいの知り合いを集め、山に行って川のせせらぎのわきでバーベキューなどして大騒ぎなどといったスペシャルなイベントを企画してやろうと考えた。

 こう言うと何だかとても弟思いの情操豊かなよき兄のようだが、実のところはここ最近テープ起こしの仕事も途絶え、単に自分が暇で暇で仕方なく、かといって特に行くべきところもないのでいつも家でごろごろしている。だからたまには山やなんかに赴いて大騒ぎして憂さ晴らししたいなあと思っていたところにちょうど弟が帰ってくるのでそれを利用してやろうという、非常に得手勝手・利己的な考えに基づいたプランであるのは否めない。それが証拠に、弟が山でバーベキューをしたいかどうかなどは全く考慮・確認せずに勝手に事を計画、知人たちへのアレンジも済ませていたところからも否めない。

 と、準備万端なったところで弟が飛行機も落ちずに無事、帰宅した。そこで早速、上記の計画を開陳したところ、彼は一言「行かない」というではないか。理由を問うと、自分は蝦夷地で畜生を相手に日々忙しく肉体を酷使して労働をしています、このたびは肉体の休息をするために帰郷したので、そういう早起きをして大荷物を抱え、遠地に赴き暴れ回るハードなレクリエーションは遠慮したいのです、敬具。とのことだった。なるほど。言われてみるとそらそうだ。

 ここで個人的な社会批判で恐縮だが、世間の日本人はやれ連休だ何だとなるとすぐ、まるで連休にどこかへ出かけないと休み損だとばかりにあさましくふだんよりも早い時間からバタバタと起き出し、かといってどこか特に行きたい場所が常からあるわけでもないので何となく世間で、ここが今はやってるよと喧伝されている商業的行楽地に出かけて散財、億単位の経済効果が起こり、不況が叫ばれる世の中の景気振興に一役買って大変よいことだと私は思ってって、あれ? 批判しようと思ったのに何か調子がおかしいな。そうじゃなくって、国全体の景気振興はよいのだが、そういうところではお金は大抵ろくでもない衝動的なお土産や市場価格って何?的な高額ジャンクフードに費消され、その虚構的休暇が終わってリアルな現実と直面する一個の家庭生活に戻ったときに、その散財のしわ寄せで次の給料日まで家計が圧迫、本当に必要なものを購入するお金に窮したりするのはいかがなものかということ。また大半の人間の出かける動機が似通っているため、必然的に似通った局地に人が集中、要らぬ混雑や渋滞を引き起こし、いたずらに疲弊して夜半にヘトヘトと帰宅して「やっぱり我が家が一番」なんて言って倒錯したマッチポンプの充足感に浸ってるのを見聞するにつけ、だったら最初っから出かけんじゃねぇよこのドミノ野郎、と内心苦々しく思っていたのだ。本来、休暇というものはそういうものではなく、日々の営みで疲れた体をリフレッシュするためにあるので、庭にサマーベッドでも出してそこに終日横たわり、トロピカル麦茶を飲みつつのんびりと日光浴をするのが本道なのである。「リフレッシュ休暇」という言葉はトートロジー・同語反復なのである。要するに何が言いたいのかというと、我が弟はそういった軽薄な世間に流されず、ちゃあんと休暇の本質を理解しているのだ。ああ偉い弟だ。こういう弟を持っていることを私は、フフ、少し誇りに思う。

 よし、そういうことならバーベキューは中止しよう。でもじゃあ休息するといっても具体的に彼はどうするのか。そう思って見ていると、部屋にあるビデオゲーム機で「真・三国無双」というゲームをやり始めた。このゲームは三国志の英雄を操り、群がる敵を派手に切り殺してその英雄を成長させつつ自軍を勝利に導くというアクションゲームなのだ。で、これは同時に2人でプレーが可能なので、私もまざり、一緒にゲームを始めた。してみるとなるほど、これは休息にはもってこいかもしれん。なぜなら、ゲームの中では曹操・劉備・孫権・沙摩柯・兀突骨・木鹿大王・雅丹丞相・越吉元帥といった三国志の英雄・豪傑たちが、まさに命を賭して、極限まで肉体を酷使し大暴れしているが、彼らを操っているこちらはあぐらをかいて指を動かしているのみ。いざとなればあぐらをやめて寝そべったっていいのだ。そう思って寝そべってみるとこれまた楽ちん。世の中に寝るより楽はなかりけり浮世のばかは起きて働くという箴言があるがまさにそのとおり。そう実感し、弟にも寝そべりの理を黄皓の口調で説き勧めると、彼も劉禅の表情でうなずきこれに従い、以来丸6日間、食う・眠る・排泄するという生存維持活動以外の時間ほぼすべて、2人でテレビ画面に正対してあおむけに並んで寝そべり、頭だけテレビの対面の壁を利用してもたげて画面を見やり、腹の上でコントローラーを操るという格好で「真・三国無双」を遊び続けた。眠る際もその体勢のまま眠りに就けて便利だった。

 てな感じで瞬く間に弟の休暇は過ぎ去り、蝦夷地へ戻る日になった。確かに身体の休息という点では非の打ちどころのない6日間ではあったとは思うが、本当にこんなことでよかったのかしらん?と私は若干、憂えていたのだが、戻りの飛行場へと送る車中でも弟は、放火に走る朱然の足が速過ぎるよねなどと、とても饒舌で楽しそうで、今回の休暇に後悔があるようにはみじんも見えなかったので、どうやら杞憂であったようだ。

 そしてグッベー、弟よ、また会う日までと飛行場で弟と別れて帰宅した私は、さて、とテレビ画面に正対して頭だけテレビの対面の壁を利用してもたげてあおむけに寝そべり、さきの6日間ですっかり習慣となった「真・三国無双」をひとりで再開してからきょうで早10日たつのであるが、そういえばバーベキューのために誘った人たちに中止の連絡をしなかったなあ。そんな不義理をしているからますます世間が狭くなってテープ起こしの仕事も来なくなってしまうのだろうけれども、まあ向こうも予定日にこちらから連絡がなかったってことは中止になったんだってことくらい常識的に考えて推測するであろうから、うっちゃっといてもいいだろう。電話代ももったいないし。と非常に得手勝手・利己的なことを考えながら呂布奉先を操っているのだけれど、そんな兄を持っている弟を私は、フッ、少しかわいそうに思う。
(この項、終わり)

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