テープ起こしストの感謝論

 とかく人という生き物は独善・傲慢・上増慢に陥りがちで、ちょっと人生に順風という風が吹き出すとすぐに、それがすべておんどれ一人の力・意志・努力の結果であると思い込み、他に存在するすべてのものに対する感謝の気持ちを忘れる。しかしそんな思い込みはやはりしょせん、ただの思い込みで、いかに自分が努力してかち得た結果であろうとも、そこに到るまでにはさまざま、自分にかかわった人々がいて、その人たちの支え・協力・慈悲・謙譲などがあってこそ、みずからの今日があるのである。そういうことを常に念頭に置き、余人や境遇への感謝の気持ちというのを忘れてはならない。

 と、偉そうに月曜日の午前8時半の校長先生のように訓示を垂れている自分は、じゃあ、日々感謝の気持ちを持って生きているのかどうなんじゃと問われれば、持ってます持ってます、もう僕なんて感謝が服着てテープ起こししているようなもんっすよ。そもそも、みずからが実践していない道徳的訓戒なぞ、赤の他人に対してするわけがないっすよ。NIっCEよ。

 だってそうでしょう、例えば「人が嫌がることを進んでしなさい」と偉そうに言う人がいて、でもその人自身は、いざ自分が重いものを運ぶ、老人に電車で席を譲る、宴会の片づけをする、被災地の瓦れきの撤去をする、休日出勤を強要されるなどという場面に出くわすと、何やかや理屈を唱え、色男だからとはしより重いものはと言ったり寝たふりをしたり酔っぱらってつぶれたふりをしたり行くとかえって現地に迷惑だからと言ったり監査が入ったりおまえ祖父母が何人いるんだというぐらい殺したりして全くやらないとする。そうしたら言われたほうは「何だよ偉そうに他人には言うが、そういう自分はやらねえじゃねえか、だったらおれだってやらねえよ。ばかばかしい」となることは必至なので、そういうことをわかっている僕が、みずから実践もしていないことを人に言うわけがないっすよ。

 また、「人が嫌がることを進んでしなさい」という言辞の意味を曲解して、蛇の嫌いな人に蛇を投げつける、ピーマンが嫌いな人に無理やりピーマンを食べさせる、トイレで大用をして流さない、借金月賦は踏み倒し、ということばかりする人がいたとしても、僕なんかはただまゆをひそめるだけで終わらせたりはせず、ああ、あなたのおかげで、日本語ってやっぱり難しいんだなあということがわかりました、ありがとう。そういう感じで、そんな迷惑な人の存在にまで感謝してしまうぐらいなのである。

 じゃあしかし実際のところ、もう少し具体的にはどうなのかという証左のために、僕のテープ起こしがない日の最頻値的一日を例に挙げてみましょう。

 朝、起きる。ふとん。ああ、僕がこうやって例えば寒い夜にも凍え死にせずにぬくぬくと睡眠をむさぼり、そしてしこうして朝になり快適に起きられるのも、ふとんというものをつくってくれる人がいるからなのだ。ありがたいことだ、と感謝する。

 そしてふとんから出て、ポストに入っている新聞を取り出して読む。新聞をこうして家にいながらにして読み、時事に精通できるのも、新聞をつくる人、そして届けてくれる人がいるからなのだ。ありがたいことだ。

 そして朝食、すなわちパンとコーヒーを食べる。もちろん、外国のお百姓さんが一生懸命つくってくれたパンとコーヒーだから、それらの人になぜか英語で「セギョー」と思いながら感謝して摂取する。

 そうして腹が膨れたら眠くなるのが人の常。またふとんに入って眠る。ふとんについての感謝はさっき記したのでここで再び書かないが、さきと同様に同じように思いながら起きると昼。ふとんの中、目覚めたまんまの状態でゆうべ途中まで読んでまくらもとにほうってある本を読む。こうやって本を読んで知識を得られるのも本を書く人、本をつくる人がいるおかげだ、ありがたいことだと当然、いちいち感謝しながら読むものだから内容はわかったようなわからないような感じで読み続けてると昼飯時になったので昼食を食べる。

 うどん。お百姓さんが汗水垂らしてつくってくれたうどんだ。感謝。

 うどんを食べ終わり腹が張って眠くなったら寝るのが健康の秘訣。またふとんに入り、ふとんについてはまたさっきと一緒なのでいちいち書いてはいられないが、まあ同じような心持ちで起きると夕方だ。

 ここでたばこが切れているのに気づき、お百姓さんが手間暇かけてつくってくれたアロハシャツと短パンに感謝しながら着がえ、買いに行く。自動販売機から出てきた真新しいセブンスターを開き、1本に火をつけながら、自動販売機をつくる人、たばこを補充しているお店の人、ライター屋さん、煙草をつくってくれているお百姓さんに感謝しながら。

 家に戻るとふとんに戻る。それは別に格言でもことわざでもない。写実だ。そして読みかけの本にあれこれ感謝しながら読書を再開する。

 日暮れてしばし、夕食時になったので夕食、といっても僕の夕食はそれイコール飲酒なので、お百姓さんに感謝しながら焼酎をかっくらう。4合ほどでよい気分になり、よい気分になると歌いたくなるのが人の性。ギターをかき鳴らしながら「ありがとう~ギター屋さん~、そしてピック屋さん~、ハムバック屋さん~」と即興の感謝ソングを絶叫して疲れてふとんに倒れ込みまた次の朝となり、ほぼ同じような繰り返しなのである。

 とまあ、上のような日常から、僕が寸刻もたゆまず、感謝の気持ちを忘れずに生きていることはわかってもらえたと思う。そういう僕を見習って、皆さんも僕のように感謝であふれた人間になってほしいと思う。

 しかしそうやって僕のように感謝であふれ切った人間になると、感謝することに忙しく、またそれに疲れて異常に睡眠を必要とする体質になってしまうので、一たん感謝人間になってしまうと感謝される側に復帰しようとしても容易ではないことを一応、警告しておきます。なお、文中、やたらと特定の職業の人にばかり感謝しているような印象を持たれるかもしれませんが、特に積極的な思想的他意はなく、何か、そこが一番感謝って言いやすいかなあって乗り的フィーリングで書いただけなので、そこんとこよろしくというか感謝もいいけどテープ起こし仕事をもっとしろやあほというありがたい天の叱責が聞こえたことにまた感謝。

(この項、終わり)

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